この道五十年。「やり残しのない仕事を」——専務・菅谷さんが歩んできた、横浜の道づくり

入社から、実に五十年。日舗建設株式会社の歴史そのものを知る生き証人とも言えるのが、専務を務める菅谷二朗さんです。先生の勧めで建設の世界に飛び込んだ青年は、横浜の数えきれない道路を手がけ、苦労も笑い話も山ほど重ねながら、会社とともに歩んできました。今回は、五十年の歳月が育んだ仕事への信念と、思わず笑ってしまうエピソードの数々を、たっぷりと語っていただきました。

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・プロフィール

  • お名前:菅谷 二朗さん
  • 所属部署/役職:専務
  • 勤続年数:入社50年目


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■この道五十年。先生の勧めで飛び込んだ、建設の世界



―― Q1. まずは、この会社に入られたきっかけを教えてください。

きっかけは、学生時代に先生から勧められたことでした。当時の私にとっては、ごく自然な流れで踏み込んだ道だったように思います。それからもう五十年。一度もよそ見をすることなく、この会社一筋で歩んできました。振り返れば、あの一言が私の人生を決めたと言っても大げさではないかもしれません。



―― Q2. 五十年とは、まさに会社の歴史そのものですね。実際に入ってみて、イメージとのギャップを感じたことはありましたか。

正直に言えば、入社した当時は休みがなく、辛い思いをしました。今の若い人たちには想像しにくいかもしれませんが、当時の建設業界はとにかく働き続けるのが当たり前という時代だったんです。最初のうちは「こんなに大変なのか」と面食らったものでした。それでも、時代とともに会社も少しずつ変わり、今では休暇制度なども整ってきています。あの頃を知っているからこそ、今の働きやすさのありがたみがよく分かるんですよ。



―― Q3. 厳しい時代を乗り越えてこられたんですね。五十年を通して、ご自身が変わったと感じる部分はありますか。

一番変わったのは、「我慢強くなった」ことだと思います。建設の仕事は、思い通りにいかないことの連続です。天候にも左右されますし、現場ごとに事情も違う。そういう一つひとつに向き合ううちに、いつの間にか、どっしりと構えて待てるようになっていました。若い頃の自分と比べると、ずいぶん肝が据わったものだと我ながら感じます。




■大きな機械、交通量の多い現場。プロだからこそ語れる誇り



―― Q4. 肝の据わった専務、頼もしいです。もし社会科見学で子どもたちが来たら、会社のどんな魅力を伝えたいですか。

やっぱり、大きな機械を動かして仕事をしているところを見せてあげたいですね。子どもにとって、自分の何倍もある機械が地面を均していく光景は、きっと忘れられないものになるはずです。普段、何気なく通っている道路が、こんなに大きな力と手間をかけて造られているんだということを、目の前で感じてもらえたら嬉しいですね。



―― Q5. 大きな機械は、大人が見てもワクワクしますよね。ご家族やご友人に自慢するとしたら、どんな仕事の部分を語りますか。

自慢したいのは、交通量の多い現場でも、きちんと規制をかけて仕事をやり遂げているところです。車がひっきりなしに通るような場所での工事は、安全への気の配り方がまったく違います。通行する方々に迷惑をかけないよう段取りを組み、その上で確実に道路を仕上げていく。簡単そうに見えて、実は高い技術と判断力が求められる仕事なんです。その難しさを乗り越えているところを、胸を張って語りたいですね。



―― Q6. まさにプロの仕事ですね。この仕事をしていて「社会の役に立っている」と実感するのは、どんな瞬間ですか。

工事が無事に完成して、地元の方から「ありがとう」と感謝の言葉をいただいたときです。これに勝る喜びはありません。私たちが造った道路を、毎日たくさんの人が当たり前のように使ってくれる。その当たり前を支えているのが自分たちの仕事なんだと、その一言で改めて実感できるんです。五十年経った今でも、この瞬間のために働いていると言ってもいいくらいですよ。




■自由に働ける社風と、整ってきた制度



―― Q7. 「ありがとう」の一言が、五十年の原動力なのですね。友人やご家族に話したくなるような社風はありますか。

うちの会社は、自由に仕事ができるところが一番の魅力だと思います。あれこれ細かく縛られるのではなく、一人ひとりが自分の裁量で動ける。長く働いていても窮屈さを感じないのは、この自由さがあるからこそです。だからこそ、責任を持って自分の仕事に向き合える。そういう風土が根づいている会社だと思っています。



―― Q8. 自由に動ける環境は、長く働くうえで大きいですね。職場の雰囲気や、助かっている制度はありますか。

職場は、広々とした環境で気持ちよく仕事ができています。空間にゆとりがあると、それだけで気分も違うものですよ。それから、先ほども少し触れましたが、色々な休暇制度が整ってきているのも、本当に助かっている点です。休みがなく辛かった時代を知っている私からすると、こうした制度が当たり前にある今の環境は、隔世の感がありますね。



―― Q9. 時代の変化を肌で感じてこられたんですね。社長が大切にされている言葉や、口癖のようなものはありますか。

社長がよく口にするのは、「決められたことは実行しよう」という言葉です。とてもシンプルですが、仕事の本質を突いていると思います。約束したこと、決まったことを、確実にやり遂げる。その積み重ねが信頼になり、会社の土台になっていく。建設の仕事は信頼が何よりも大事ですから、この言葉を聞くたびに、背筋が伸びる思いがします。




■今だから笑える、苦労話と先輩たちの背中



―― Q10. 信頼を積み重ねるお仕事ですね。五十年の中で、今だから言える苦労話があれば聞かせてください。

忘れられないのは、工程管理がうまくいっていない現場を引き継いだときのことです。毎朝のように役所から電話がかかってきて、詰問されるんです。あれは本当にこたえました。プレッシャーで気が休まる暇もなく、気づけば体重が六キロほど減っていたんですよ。今でこそ笑い話にできますが、当時は本当に必死でした。それでも何とか乗り越えられたのは、いい経験になったと思っています。



―― Q11. 六キロとは……それほど過酷だったんですね。長いキャリアの中で、入社当初に「凄い」と思った先輩はいましたか。

入った頃に驚いたのは、二、三日不眠不休で働き続けている先輩がいたことです。今思えば、とても真似のできることではありませんし、体にいいはずもありません。ただ、当時はそれだけ仕事に懸ける気迫があった時代でした。そのひたむきさには、若かった私も圧倒されたものです。もちろん今は時代も変わり、しっかり休みながら働くのが当たり前になりました。あの頃の張り詰めた空気を知っているからこそ、今の環境のありがたさを感じています。



―― Q12. 時代の移り変わりを物語るお話ですね。これまでで特に印象に残っている仕事はありますか。

境界問題で、しばらく施工を止められたことがありました。土地の境界をめぐる話というのは、こちらの努力だけではどうにもならない難しさがあるんです。工事を進めたくても進められない、あのもどかしさは今でもよく覚えています。建設の仕事は、技術だけでなく、こうした目に見えない調整ごととも向き合わなければいけない。そう痛感させられた、印象深い現場でした。



―― Q13. 現場には、外からは見えない苦労があるのですね。業界の外の人は知らないような、独特の言葉はありますか。

色々ありますよ。たとえば「マニフェスト用紙」。これは廃棄物の処理を管理するための書類のことなんです。それから、金額を「〇円〇銭」と銭の単位まで細かく扱うこと。あとは「インバリ」なんていう言葉も使います。この業界に入って初めて耳にする言葉ばかりで、最初は戸惑う人も多いと思いますよ。一つひとつ覚えていくのも、仕事に馴染んでいく過程の一つですね。


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■ゴルフにヨット、座礁も。多彩な趣味と人柄



―― Q14. 業界ならではの言葉、興味深いです。少し話は変わりますが、お休みの日はどのように過ごされていますか。

これがなかなか多趣味でしてね(笑)。ゴルフにテニス、ソフトボール、それからヨットまで。もちろん、仲間とお酒を酌み交わすのも大切な楽しみの一つです。中でも忘れられないのが、所属していたヨットが座礁してしまったこと。あれはもう、本当に残念な出来事でした。体を動かすのが好きなので、休みの日も家でじっとしていられない性分なんですよ。



―― Q15. ヨットの座礁とは、なんとも豪快なエピソードですね。仕事で失敗してしまったとき、どうやって立ち直っていますか。

私の立ち直り方は、いたってシンプルです。ご飯を食べて、寝る。それだけです(笑)。あれこれ思い悩んでも、過ぎたことは変わりませんからね。しっかり食べて、ぐっすり眠れば、不思議と翌朝には前を向けているものなんです。五十年やってきて行き着いた、私なりの一番の特効薬ですよ。




■やり残しのない仕事を。そして、これからの会社と自分



―― Q16. 「食べて寝る」、長く続ける秘訣かもしれませんね。お仕事で「これだけは」と大切にされている信念はありますか。

「やり残しがないようにしたい」。これに尽きます。中途半端なまま仕事を終えるのが、私はどうしても性に合わないんです。一つの現場を任されたら、最後まで責任を持ってやり切る。当たり前のことのようですが、これを五十年貫き通すのは、決して簡単なことではありません。だからこそ、この信念だけは曲げずに大切にしてきました。



―― Q17. 五十年貫いてこられた信念、重みが違います。これまで言われて嬉しかった一言はありますか。

ある後輩から「一生この会社で頑張ります」と言われたとき、本当に嬉しかったですね。長く働いてきた身としては、若い人がこの会社に未来を感じてくれていることほど、励みになるものはありません。自分たちが築いてきたものが、次の世代へと受け継がれていく。そう実感できる一言でした。



―― Q18. 世代を超えて受け継がれていく、素敵なお話です。会社として目指している夢や目標はありますか。

会社の目標は、横浜市の優良業者になることです。横浜の道づくりを語るうえで、なくてはならない存在になっていく。一本一本の仕事を誠実に積み重ねることで、地域からの信頼を確かなものにしていきたい。五十年かけて築いてきた土台の上に、これからも信頼を重ねていければと思っています。



―― Q19. 地域に根ざした目標ですね。これだけは知ってほしい、という自社の意外な一面はありますか。

実は、最近はそうでもないのですが、数年前までは山梨県出身者が社内の多くを占めていたんですよ(笑)。何かのご縁が重なって、自然とそうなっていたんですね。こうした、知る人ぞ知る会社の歴史というのも、長く続いてきた会社ならではの面白さかもしれません。



―― Q20. それは初耳の、面白い歴史ですね。最後に、菅谷さんご自身の今後の夢や目標を聞かせてください。

これからの夢は、老後を何不自由なく、面白おかしく生きることですね(笑)。長年がむしゃらに働いてきましたから、これからは少し肩の力を抜いて、人生を楽しみたいという気持ちもあります。趣味もたくさんありますし、やりたいことは尽きません。仕事に全力で向き合ってきたからこそ、その先の時間も、めいっぱい味わい尽くしたいと思っています。


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■まとめ

五十年という長い歳月を、この会社一筋で歩んでこられた菅谷専務。そのお話からは、厳しい時代を乗り越えてきた人ならではの、どっしりとした包容力と、どこか飄々としたユーモアが伝わってきました。役所からの詰問で六キロ痩せた苦労話も、ヨットの座礁エピソードも、今ではすべて笑って語れる思い出。その一つひとつが、横浜の道づくりに人生を捧げてきた証なのだと感じます。


「やり残しがないように」という信念を五十年間貫き、工事完成時の地元の方からの「ありがとう」を何よりの喜びとしてきた菅谷さん。その背中があるからこそ、「一生この会社で頑張ります」と次の世代が続いていく——。自由に働ける社風と、時代とともに整えられてきた環境の中で、日舗建設の歴史と未来が確かに繋がっていることを、菅谷さんの飾らない言葉が教えてくれました。




■横浜の道づくりを、次の世代へつなぐ仲間を募集しています

五十年にわたり日舗建設を支えてきた菅谷さんの言葉からは、道路づくりに向き合い続ける誇りと、やり残しのない仕事への責任感が伝わってきました。


日舗建設では、長年積み重ねてきた技術や経験を大切にしながら、今の時代に合った働きやすい環境づくりにも取り組んでいます。

大きな機械を動かす迫力、交通量の多い現場を安全に進める緊張感、そして工事が終わったときに地域の方からいただく「ありがとう」。その一つひとつが、この仕事の大きなやりがいです。


横浜の道づくりを、これからの世代として受け継いでいきたい方をお待ちしています。

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